Champagne Salon 1997 孤高の女王


孤高の女王と言っても、前に書いた孤独な王の話とは別。

去年末、ふと気まぐれにDeutzのdemi secを買って飲み、趣味になったシャンパーニュテイスティングだが、まだ1年経っていない。まずは外郭を抑えるべし、高い=美味いと決めつけてやみくもに買うのは無粋、鬼の財務大臣じょにおは恐いしと、今まで敢えてプレステージラインには手を伸ばしてこなかった。しかし、高みというものがどんな意味を持つのか、知っておいて損はなかろう。

例えば山登りが趣味なら、富士山やエベレストといった存在は知らねばならない。実際に最高峰に登ってみなくても山登りはできるにしても。

Salon。シャンパーニュ好きには一目置かれる存在だが、一般的にはあまり聞かないのではないか。高級とかプレステージとか言われる部類のシャンパーニュといえば、派手でどんな人にも名が通っているのはドン・ペリニヨンだろうが、Salonは威厳と余裕を持ってそれを微笑みながら見送る。分かりやすい例でいうと、ドン・ペリニヨンをベンツのSクラスに例えるなら、Salonはベントレー・ミュルサンヌ。

あるいは、「シャンパーニュの王様はドン・ペリニヨンじゃない、クリュッグが帝王と呼ばれてるじゃないか」という人もいるだろう。クリュッグを引き合いに出されても、Salonはクリュッグ帝国を認めながら、超然としていることができる。クリュッグは複数生産されるラインすべてがプレステージと言われ、圧倒的な質(と値段)のラインナップを誇っているが、SalonはSalonただ1種類のみ。そしてその1つが、プレステージで、キュヴェで、ミレジメ。そんなシャンパーニュメゾンは他にない。そのスタンドアローンな姿勢、特殊、高貴、それこそがSalon。(尤も、Salonには姉妹ブランドのドゥラモットというのがあって、Salonに使われない、あるいはSalonの作られない年のブドウはドゥラモットになる。親しみやすいラインがドゥラモット、プレステージがSalonと考えることもでき、公式サイトのドメインもsalondelamotte.comとなっているが、Salonとドゥラモットはあくまで別のメソン)

年間生産量で言うと、もちろん年によって違いはあるし、プレステージのシャンパーニュの中には作られない年もあるが、大体均して、ドン・ペリニヨンで500万本、クリュッグで50万本と言われる。シャンパーニュ全部の年間生産量は2007年で3億3,900万本(当然その数字から他のスパークリングワインは除かれている)。それに対し、Salonは8万本。Salonは希少さにおいて、ドン・ペリニヨンやクリュッグの比ではなく、一般に聞かない名前なのも無理はない。

希少なだけなら、シャンパーニュメゾンには生産量の少ないものもたくさんあるが、Salonはぶどうの選別から製法にまで徹底したこだわりがあるらしい。所有するグラン・クリュ(特級)の単一畑で獲れたシャルドネのフリーランジュースのみから作られるが、そもそも作られるのは作柄の良い年だけ。詳しいうんちくは興味があれば調べてもらうとして、ともかく特別で、唯一無二な存在。知っている人にその名を言えば、「ああ、Salonね…」と、言葉の前後に余韻が生じるだろう。その「ああ」と「…」には、憧憬の意味もあれば、料理やチーズとのマリアージュを考える人にとって手ごわいからでもあり、気難しい大御所を扱うようなニュアンスも含まれている。

◇ ◇ ◇

さて、前置きはこれくらいにして。今年はSalonの最新作1999年が蔵出しとなって、この前Salon社の社長も来日してプロモーションをしていたようだが、今回飲んだのは、その前の1997年だ(1998年は存在しない)。

Salon 1997
Salon 1997

偉大なシャンパーニュなので、この機会にグラスもプレステージ・シャンパーニュ向けのを新しく用意した。この前使ったのだが、それは実はお試し。

シャンパーニュを楽しむにはマリアージュも重要な要素なので、今回はこんな感じで用意。↓

ずらっと。
ずらっと。
右の皿。右から、フォアグラのパテ、クルミとレーズン入りフレッシュチーズ。
右の皿。右から、フォアグラのパテ、クルミとレーズン入りフレッシュチーズ。
左の皿。左からプロシュート(パルマハム)、ロックフォール・パピヨン、トリュフブリー。
左の皿。左からプロシュート(パルマハム)、ロックフォール・パピヨン、トリュフブリー。

さて、開栓。開けると、コルクは持ち手と底部で材質が異なったものを使い分けているのが分かる。14年前に仕込まれた物なのに、泡は力強く、そして粒立ちが細かい。色はシャルドネだけなのにはっきりとした濃い黄金色。最初の香りはブリオッシュのような醗酵香もするが、花々が組み合わさった中に甘い(が甘すぎない)香りもし、複雑で、これぞシャンパーニュという香り。口に含むとその香気とともに、適度な酸と熟成した白ワインの味がするが、何といってもいわゆるフィネスが素晴らしい。どこに注意を払っても、欠点がない。

ちょっと写真では色が淡く見えるかも。
ちょっと写真では色が淡く見えるかも。

気難しいシャンパーニュという先入観を抱いていたのだが、いい意味で裏切られた。というのは、用意したプロシュート(パロマハム)、チーズ、フォアグラパテ、いずれとも相性が良かったからだ。懐の広いシャンパーニュという印象で、よほど味のしつこい肉料理などでなければ、大抵の料理にも合わせることができるのではないか。

飲み進めると、最初に見せた華やかさに加えて、芯の強さが出てくる。長年の熟成に耐えられるかどうかを厳しく見極められたブドウのエッセンスだろう。最初に香った花々の可憐さは、もっとセクシーになって、薔薇のような香りになり、飲んでいる者の気持ちをアルコールの効果以外で高揚させる。そして酔い心地も、軽やかで華やいだ感じ、体に微塵の負担も感じさせない。

きめ細かな泡とテクスチャー。
きめ細かな泡とテクスチャー。

下世話な話だが、これ1本が売価で愛飲しているPiper-Heidsieck Brut 10本~1ダースほどであるのを考えた時、その価値があるかどうかを考えるのは、ベントレー・ミュルサンヌ1台にメルセデスEクラス半ダース分の価値があるかと考えるのに似ている。
高級であることには品質が優れているのが必要なのは当然だが、さらに最高級と言われるには、破綻のないこと、繊細さ、行き届いていることが重要になってくる。そうしたすべての要素を磨き上げることには、膨大な努力が必要でも、その膨大な努力を果たしたとして、他から抜きん出る差は、高級になればなるほど「努力したほど差があるだろうか?」との疑問もわくほど僅かだ。
それは、ワインだろうと自動車だろうと人の技能だろうと、およそ高級には当てはまるもので、受け手について見れば、その僅かな違いを認められ、それに加えて奥ゆかしいこと、それが努力の膨大さにもかかわらずさも当然のようにさらりと存在することに価値を見いだせる人が、connoisseur・粋・通人と称されるのだ。そう考えると、Salonは間違いなく通人向けと言える。純粋な意味で、Salonを飲む時間はいい体験だった。

追記:何故Salon 1997を孤高の「女王」と表現したか? それは、↑のテイスティングに見られるように、1997は繊細・優美で、それが女性らしいと一般に表現されているから。対して、今年リリースの1999はマッチョで男性らしいとか。1999を味わう時はいつ来るか?